日本文学における琴学史の基礎的研究《資料編》緒言

原 豊二(米子工業高等専門学校准教授)



 本冊子『日本文学における琴学史の基礎的研究《資料編》』は、同名の科学研究費補助金(若手研究(B)・課題番号18720059)により作成されている。本冊子の目的は、琴(七絃琴)に関わる中世初期までの叙述を全面的に調査し、挙出することにある。これにより、この時期までの琴に関する叙述のおおよそが把握可能になるに違いない。
 おそらく「なぜ琴なのか?」という疑問が湧いてくるであろう。伝統楽器は数多くあり、そのそれぞれが日本文学のテクストに多く表現されていることは自明のことでもある。これに対する答えは決して単純ではないが、琴という楽器が他の楽器とは違う破格の待遇を受けていた時期があったということ、そのことに注目したい。『源氏物語』に「琴の音を離れては、何ごとをか物をととのへ知るしるべとはせむ(若菜下巻)」とあるのは、楽器界での琴の中心性を表している。また、平安時代までの漢詩文には多く「琴」字が表されている。しかしながら、そのわりには琴というものが、古典テクスト全体としてどのように表されているか知らされることはなかった。もちろん、個別のテクストにおける先行研究は見逃すことはできないだろう。ただし、テクスト群上の全体像を見通す研究は現在まで皆無であったことはここに記さざるを得ない。本冊子の意図は、まさしくこうした状況の打開にこそある。  今回の調査で問題になったのは、「琴」表記が果たして「七絃琴」を指すかという根本的な疑問であった。それは、テクストの制作時代によって様相が大きく変化するし、物語・和歌・漢詩などといったジャンルによっても相違しよう。加えて、同時代同ジャンルにおいても、大陸(中国)に対する関心度によって変化するのではないかという印象を持った。「琴」が「きん」なのか「こと」なのか、「こと」であればそこには箏や琵琶も含まれるのか、このような疑念に一つ一つ向き合わねばならず、調査担当者はそれなりの苦労を要したはずである。
 また、各テクストに表される「琴」が、実物を意味する琴なのか、それとも故事等の引用としての表記なのか、また漢詩など修辞的要素の高い表記なのか、様々なケースに遭遇したことも事実である。おそらく、それは単なる「モノ」ではなく、楽器の持つ独特の付加価値や付加文脈(コンテクスト)故の事態であったのだと思う。「琴」と「松風」の関係のごとく、ほぼ完全に「詩的言語」の枠組みとしてしか成り立ち得ないケースもかなり多かった。パロールとエクリチュールではないが、楽器自体から生じる「音」や楽器自体の形状である「モノ」と、漢詩や和歌、物語などに見られる文学的感覚世界における「文(テクスト)」の二つのあり方が、「琴」には見出すことができる。「音・モノ」(実存)と「文(テクスト)」(虚構)が両義的に表出される「琴」の表記・表現からは、一定の文学理論の醸成も不可能ではない。時代を越え、ジャンルを越え、地域を越えて「語られる琴」を検証することは、文学研究上の新たな理論を見出す絶好の機会であるとも言える。

 さて、昨年度は、伏見无家氏の演奏による音楽CD『日本琴學』を作成することができた。本年度はこの冊子、そして最終年度である来年度は論文集を作成する予定である。今後にぜひ期待されたい。

 なお、本冊子の編集は、原豊二(米子工業高等専門学校准教授)と中丸貴史(学習院大学大学院)が担当した。また、原と中丸に加え、圷美奈子(和洋女子大学准教授)、岡部明日香(中央学院大学講師)、木下綾子(明治大学専任助手)、笹生美貴子(日本大学大学院)、正道寺康子(聖徳大学短期大学部准教授)、永井崇大(日本大学大学院)、伏見无家(鎌倉琴社主宰)、皆川雅樹(専修大学附属高等学校専任講師)が用例調査を行った。人文科学系統の研究においては極めて稀な、作業自体からの共同研究の方式を私たちは今回選ぶこととした。
 共同研究の難しさはあちらこちらで聞くこともあるが、各調査者が相互に刺激を受けることも多々あり、その意味では大変有効な研究スタイルになったと思う。こうしてできあがった私たちの調査結果が、学界の発展に少しでも寄与することを望むばかりである。

                    二〇〇七年九月二十九日