『西麓堂琴統』嘉靖二十八年(1549)
敬愛する汪鐸師のために
伏見无家 打譜(2005年12月23日)
採眞游(MP3)(4.6MB)
『莊子』外篇 天運篇 第十四
名は公器なり。多く取るべからず。仁義は先王の蘧廬なり。止だ以て一宿すべきもの久しく處るべからず。覯まれば而ち責め多し。古の至人は、道を仁に假り、宿を義に託し、以て逍遥の墟に遊び、苟簡の田に食ひ、不貸の圃に立てり。逍遥は無爲なり、苟簡は養ひ易きなり、不貸は出す無きなり。古は是れを采眞の遊と謂へり。
名声というものは天下の公器で己れひとりが独占すべきものではなく、仁義の教えは昔の帝王が世を治めるために用いた一時の方便にすぎない。それは一夜の宿として利用することはできるが、永く居坐るべきものではなく、永く居坐れば必ずいろいろな不都合が生じるものである。だから、昔の至人すなわち道の体得者は、仁を一時の方便として用い、義を一夜の宿として借り、仁義の教えを固執しないことによって、とらわれなき自由の世界に遊び、簡素を精神の糧とする生活、他人への施与を意識しない境地に身をおいたのである。とらわれなき自由を楽しめば作為を弄することがなく、簡素を旨とすれば生活が容易であり、他人への施与を意識しなければ外物のために己れを損うことがない。そしてこのような境地を古人は「采真の遊」―真実なる道を取得したとらわれない生き方―とよんだのである。 (福永光司訳)